Osaka Jazz History

芝居映画とカフヱーの街道頓堀
芝居映画とカフヱーの街道頓堀

大阪ジャズの流れは、1922年北浜にできた老舗の料亭「なだ万」が経営するレストランで、前野港造(北米航路の船のミュージシャンとして活躍、日本初のジャズ・サックス奏者)により演奏されたJAZZが最初と言われます。(なだ万社史より)

道頓堀JAZZとしての「誕生」は1923年頃から難波・千日前界隈の飲み屋街を中心に、いたるところでジャズが鳴り響いていました。
当時、演奏されていたジャズはダンスの伴奏音楽として始まりました。

1923年関東大震災により被災した多くのミュージシャンが大阪にやってきて、大阪のジャズプレーヤーたちの協力もあり、1924年にはミナミのダンスホールなどで演奏の職につき、一大ジャズブームが巻き起りました、それが大阪ジャズの始まりと言われています。

戎橋及心斎橋筋 「カフェーパウリスタ」
戎橋及心斎橋筋 「カフェーパウリスタ」

戎橋北詰にあった「カフェーパウリスタ」や「ユニオン」では、井田一郎をリーダーとするチェリーランドジャズオーケストラやラフィングスタージャズバンドがプロのジャズバンドとして、日本で初めて定期的に演奏を行っていました。

また、当時は少年音楽隊がブームで、高島屋少年音楽隊では日本のルイ・アームストロングと呼ばれた南里文雄や中沢寿士、出雲屋少年音楽隊では服部良一が入隊しています。日本のジャズシーンを代表するプレーヤーが大阪から育ち、まさに大大阪時代と言われる大阪の音楽文化を生み出し、現在へと続く日本の商業音楽の基盤を築きました。